ある余命ブログ投稿者さんへの侮辱に関する考察

今回は、余命さんと余命ブログ読者に対する、「余命はカルトだ」という批判について、考察してみます。まずは、以下の引用をご覧ください。

余命ブログで違和感を感じているコメントを一部抽出してみる。

788 巷間アラカルト76から

topaz
余命さま、
>.....もうすぐはじまるよ!!
成立した犯罪に対する刑事告発。 そう、私たちの出番です。 まってました!!

みなさま、
今年92才になる義母がこんなことを言ったのです。「警察は何をしていたのか」と。痛ましいアイドル女子大生殺人事件への印象でした。
お母さん、警察はね、犯罪が成立しなきゃ出番がないんだよ。
火事が起きたあとで消防署は何をしていたのかとは言えないでしょ?
ファンといえども執拗で一方的な、気味の悪い他人から、犯罪成立の前に身を守るのは家族の役割じゃないかなって言ったんです。
つまり、家族が相手の前に出て行くことです。
家族の覚醒に悩んでおられる方が多いとの投稿が相次いだようですが、どうでしょう?事実を提示しても納得しない家族が果たして正常といえるのか。 これは当人の問題であり、それを矯正するのは家族の義務です。避けることのできない重大な課題です。
家族にこう言えばいいんです。「余命三年時事日記に偽りがあるなら根拠を明確に示して下さい」と。「時間と労力を使って真偽を確かめることもしない怠け者 に日本人の資格はない」と。「与えられるものに不平不満を言うだけの能無しに正しい判断ができるのか」と。「あなたは子供の未来に関心が無いのか」と。
「茶の間の正義は国を滅ぼす」と言った人がいましたがそのとおり。 お手軽な正義ほど破壊的なものはない。
耳障りのいいスローガンに美談。ウソをつくことに迷いのない人の得意技です。どんな大ウソもバレなきゃ真実。バレても何事もなかったかのように振舞う。日本人を家畜扱いしてきた証拠です。
日本には半島発のウソが多すぎて、その蔓延したウソを吸って、善良なつもりで生きてるあなたの家族を真人間にするのはあなたの役割であり、今こそ前に出て行く時ではないでしょうか。 戦後70年、反日どもに事実を突きつけて、一つ一つ厳しく追求し、広く世間に公開する時期ではないでしょうか。
それと、家族に理解されないという投稿の何割かは工作のように感じています。 だって、日本人はそんなにバカじゃないもの(笑い)

気持ち悪いという印象を抱きますが、所謂分断策の一つですね(笑)余命をカルト宗教させる手口に過ぎない。余命のいう1割が覚醒すればの件からしても、本質を理解しておらず、日本人をバカにしている発言に過ぎません。理想を求めるのではなく、最悪の選択肢を避けることが出来ればいいわけで、家族として最低限出来ることは、覚醒することではなく、パヨらなければいいだけの話ですよwwwこういった意見というのも9条教と一緒で、教条主義的なわけです、ハイ。

ぱよぱよ日記 X-day 2016/5/25 より抜粋


この「ぱよぱよ日記『X-day』」の記事が妥当なものであるかどうか、次に掲げる諸項目を参照しながら、検証してみましょう。

カルトの見分け方
 カルトを見分けるのに分かりやすい特徴を箇条書きにするなら、以下のような点を挙げることができるでしょう。これらをチェックしていけば、その宗教がどれほどカルト性を持っているかを知ることができます。必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当てはまるなら、カルトと考えて差し支えないと思います。
  1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
  2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない
  3.自分の頭で考えることをしないように指導する
  4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
  5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い
  6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
  7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
  8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる
  9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている
 10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
 11.外部に対して正体を隠す傾向がある
 12.生活が細部にわたって規定される
 13.組織が信者の生活のすべてになっている
 14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
 15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える

カルトの特徴とは 宝珠愚者編著 2004/07/21 より抜粋


さて、topazさんは。「余命三年時事日記に偽りがあるなら根拠を明確に示して下さい」とおっしゃっています。これは、余命さん情報以外の情報、つまり外部情報によって余命さんの話を検証して下さいということですよね。ということは、カルト該当項目6は不一致ということです。

また、こうもおっしゃっています「時間と労力を使って真偽を確かめることもしない怠け者 に日本人の資格はない」と。これは、相手に対して、自分の頭で考えるように強く促している言葉です。したがって、項目3にも不一致です。

次におっしゃっていること「与えられるものに不平不満を言うだけの能無しに正しい判断ができるのか」は、社会を前提としています。というのは、「与えられるもの」は、具体的に言えば、政府、自治体、所属する会社、組織、家族、友人、知人などから与えられるのであり、それらの諸組織、人間関係を成立させているのは、社会環境だからです。そして、社会環境を維持していくためには、与えられるだけでなく、与えていかなければなりません。そういう意味では、「与えられるものに不平不満を言うだけの能無しに正しい判断ができるのか」というこの言葉は、極めて真っ当なものであり、こういうことを言える人が家庭や社会との関わりで、多くのトラブルを生じているはずがなく、社会からの迫害意識を持っているはずもありません。「あなたは子供の未来に関心が無いのか」という言葉も、社会の維持、発展に繋がるものですね。したがって、項目9、10にも、不一致です。

これまでの検証で、topazさんは、公平、公正な精神をお持ちで、良識ある真っ当な社会人でいらっしゃることが明らかとなりました。そのお言葉は、どれ1つとしてカルト該当項目に合致せず、却って、不一致項目が見つかるのみでした。いったいどこが「気持ち悪いという印象を抱きますが、所謂分断策の一つですね(笑)余命をカルト宗教させる手口に過ぎない」のでしょうか。topazさんが求めておられるのは「理想」などではなく現実の日本の社会の維持であって、その日本の社会が在日によって蚕食され、反日勢力に破壊されようとしている現状に危機感を持たれ、行動を起こそうとしておられるのです。

もっともらしい屁理屈と印象操作で、「お手軽な正義」を提示し、自分で考えること、危機に気づいて行動することを阻害する『ぱよぱよ日記』の手口は、反日マスコミと同じものです。また、根拠もなく教条主義、カルトというラベリングをするのは、パヨクの手口でもあります。

以上の考察を読まれた読者は、次のような疑問を持たれたのではないでしょうか。一体、yoshさんは余命さんのどこに惹かれて、余命さんのファンとなり、余命ファンサイトを運営しているのか。そもそも、yoshさんは、本当に余命ファンなのか。これらの疑問については、また別の機会に考察してみたいと思います。

[注]yoshさんは『ぱよぱよ日記』の管理人さんです。
2016/5/31追記

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余命官邸メールの効果 熊本地震関連号外の場合

765 巷間アラカルト66 2016年5月21日 よりの抜粋

ななこ
余命様、スタッフの皆さま、読者の皆さま、余命本2の発売と同時に燃え上がる皆様の熱気に圧倒されています。話題の流れが速いので、少し前のことがとても昔のように感じてしまいます。
 さて、官邸メールの効果についてですが、熊本地震関連の号外が良い影響を与えたのではないかと感じましたので投稿させていただきます。

 被災地の犯罪多発については、東日本大震災の時から現地情報に接していて、特によそから計画的に瞬時に複数で乗り込んでくる、消防団に偽装して善意を装い被災者をだまして下見をしながら犯行に及ぶ窃盗団には怒りを禁じえませんでした。
 熊本地震でも地震発生から2日後には窃盗団が乗り込んできていたようです。現地発の情報を政府関係者も早期から把握していたようですが、直接の陳情ではないため、どれくらい早く対策がとられるのか注目していました。

 ミラーサイト様でも迅速に余命号外メール「【号外643】熊本地震の被災地域での治安強化について」で、すぐに援護を開始されました。
 先日、下記のニュースが配信されたのを見て、被災地での窃盗厳罰化が動き始めたのを確認いたしました。これはかなり早い対応がとられたと、かなり驚いたところです。
 厳罰化だけではなく、全国からの警官の増員と予備自衛官(?)の投入も合わせると、【号外643】での治安強化についての要望に応えるように対策が取られたとみることが可能なのではないでしょうか?
以下にニュースを引用いたします。

被災地での窃盗、厳罰化を検討 自民・稲田氏
2016.5.11 15:01 産経ニュース
 自民党の稲田朋美政調会長は10日の政策審議会で、熊本地震の被災地で空き巣被害が発生していることを踏まえ、災害時の窃盗犯罪を厳罰化できないか党の法務部会で検討する考えを示した。「空き巣が心配で逃げられない状況だ。被災者の生命に関わる」と述べた。この日の党役員連絡会では、熊本県などで深刻な空き巣被害が発生しているとの報告があった。

「震災窃盗」厳罰化を検討=自公
時事通信 2016/05/10
 自民党の稲田朋美政調会長は10日の役員連絡会で、熊本地震の被災地で空き巣被害が相次いだことを踏まえ、災害時の窃盗犯への厳罰化について「党政調で検討したい」と表明した。公明党の石田祝稔政調会長も記者会見で「許せないという思いが強い」と同調し、「災害救助法が適用されている地域」での厳罰化の検討を提唱した。


【号外643】熊本地震の被災地域での治安強化について
2016年4月14日に発生した熊本地震で今も余震が続いており、大勢の方が被害に遭われていますが、そんな状況をつけねらって空き巣や窃盗の被害が相次いでいます。
 東日本大震災でも窃盗、詐欺、わいせつなどで甚大な被害がありました。今回の地震でもそのようなことが起こらないよう対策が必要です。
 人命救援は最優先にすべきですが、被災地を狙う空き巣、窃盗、妨害を未然に防ぐための監視・取り締まり強化を要望します。


.....即応予備自衛官を出動させたことは大きい。これは東北地震において多くの窃盗団による被害を教訓にしている。明らかに武装集団を想定しており、任務としてテロリストに対応できる交戦権を持つ組織としてきわめて迅速に自衛官を出動させている。
 即応予備自衛官と聞くと優しい響きだが、実際は常に最新訓練を受けており、現役自衛官と変わらない。有事における民間防衛の核となる存在だ。これに予備自衛官補が付属するかたちとなる。
 熊本地震では、メディアはまったく報道しなかった。簡単な話、怖かったのだ。よって災害救助や復旧現場、避難所の取材ばかりでひんしゅくを買ったのはご承知の通りである。


posted by Tohru Kishii at 00:29Comment(0)時事

余命一派殲滅大作戦第2波

余命ブログでの投稿による天皇陛下を押し立てての、ステルスな櫻井よしこさん叩き、余命ブログの場での櫻井よしこさん批判の誘発、櫻井よしこさんを巻き込んでの社会問題化、マスコミによる余命ブログバッシング、同時にネットでの余命ブログバッシング誘発、余命ブログ閉鎖、余命一派壊滅。そんな筋道を描いて仕込みをしていたのでしょうか。

工作者の意図がどうあろうと、天皇陛下と皇室を利用する、このような卑劣な謀略を疑わせるものは許せません。幸いにも私の意図を汲みとっていただけた方がおられ、特に、信濃太郎さんは、何の打ち合わせもないのに、謀略を暴くキャンペーンを張って下さいました。豆腐おかかさんも『待ち望むもの』の記事のなかで、信濃さんのキャンペーンを取り上げてくださり、信濃さん、おかかさん両ブログに寄せられたコメントから察するに、多くの方が関心を寄せて下さったようです。

これで、とりあえずは、少なくとも工作の出鼻を挫く事ができました。また、工作コメントを選り分ける余命ブログ読者の目が厳しくなったことで、工作しづらくなったと思われます。これから工作者がどうでてくるか、注意していきましょう。

真太郎さんについては、4月下旬以降の余命ブログへの投稿から、工作者であるとの疑惑を持たざるをえない状況です。余命一派殲滅大作戦第1波のときには、青山繁晴さんを巻き込んでの騒動となっており、ましてや、今回は天皇陛下への敬意を巡っての巧妙な櫻井よしこさん叩きの様相を見せ、前回よりも大きな波紋を投げかけることを警戒しないわけにはいきません。しかし、真太郎さんを工作者であると断定してはいません。今後の真太郎さんの投稿を、注視していきたいと思います。また、真太郎さんと歩調を合わせる余命ファンサイトがあるのですが、こちらの方も注目していきたいと思っています。


2016/5/24 加筆、修正

余命ブログを舞台とした櫻井さん、青山さん叩き

4月下旬あたりから仕込みにはいって、櫻井よしこさん、青山繁晴さんを叩く舞台を整えている様子が信濃太郎さんの『神州再生を願うブログ』「余命、保守系ジャーナリスト関連記事抜粋、2016年5月 」から窺えます。そのことは、余命ブログの読者の中にも気づいておられる方がいるようです。

“700 巷間アラカルト48” へのフィードバック
まかろん より:
2016年5月5日 4:25 PM

オブザーバーに注目いってますが、日本国民が見てなきゃいけないのは、日本の未来を決める権限を持つ国会議員等の公務員のはず

何故、日本の未来を握らない方々に話がズレているのか

櫻井氏や青山氏、井上氏を右左スパイと言い出したのは誰なんでしょう?

それを煽ったのもいるはずだし

余命氏は名前は出したけど仲間とは言ってないはず

判りやすい低級煽りコメントではなく、始めた高級コメントがあったはず
そっちが気になります

連投失礼致しました
読み捨て願います


信濃さんの記事を見ると、「始めた高級コメント」というのが浮かんできます。煽りのコメントも分かりやすいですね。まとめて下さった信濃さんに感謝です。

仕込みと工作は、まだ、終わっていないようです。今度はどういう手で来るのでしょうか。

投稿が余命ブログ本稿に採用されました

余命ブログに投稿したのは3度目です。最初と二回目はコメントとして承認されたのみで、今回は本稿の記事として採用されました。しかし、何故か、返信コメントとしては承認されませんでした。理由を考察してみるのも、面白いかもしれません。採用されたのは以下の投稿です。

739 巷間アラカルト59 2016年5月16日
匿名
真太郎 への返信
真太郎さん、たいへん興味深いエッセイを紹介していただき、ありがとうございました。このエッセイの筆者の方のサイトにもおじゃましましたが、なかなか素晴らしい見識をもっておられる方だと思います。
 多くの日本人にとって、天皇陛下は空気や水のような存在であると思います。普段は、その存在を忘れていますが、折にふれて、そのありがたみと不可欠であることに気付かされ、感謝し、尊敬と敬慕を懐かざるをえない、そのようなご存在です。
 ですから、陛下をことさら生神様として尊崇するのは、かえって不自然ですし、古くからの日本人の心性に馴染まないものです。そういう意味では、このエッセイの筆者のかたの陛下に対する感性は、共感できるものです。そして、このエッセイを読むことを通して、陛下のご存在のありがたみを、何の違和感もなく感じさせていただける機会を与えられました。
 この筆者のこれからの、ますます(の)ご活躍を祈るとともに、このような機会を与えてくださった真太郎さんに感謝申し上げます。

[注]下線部は私の入力ミスです。余命ブログの記事では「の」が脱落しています。


投稿者を匿名としたのは、このコメントが邪魔な場合、余命さんに削除してもらいやすくするためです。この投稿は、次に掲げる真太郎さんの投稿への返信として書いたものでした。

「733 巷間アラカルト55」へのコメント
真太郎 より:
2016年5月15日 9:25 AM

余命プロジェクトチーム様、余命読者様お疲れ様です。

余命63号に大賛成です。すでに神になられた昭和天皇を祀る昭和神宮は特に昭和生まれの日本国民には心のよりどころの一つになるはずです。

 そもそも天皇陛下が尊いのは、生ける神だからです。しかもそれを公にしている点にあります。皇室や天皇家が尊いのは、生ける神を代々輩出しているからです。神を生み出すという点で天皇陛下、天皇家と同じレベルの組織は世界に見当たりません。天皇陛下、天皇家の偉大さ貴重さはバチカンよりも英国やベルギーの王室よりも歴史や伝統があるからだけではないのです。

 生ける神が国家の中心にいれば、どれほどその国の民は幸せなことでしょう。人間の段階的な欲求説を持ち出すまでもなく、人間の最高の幸せは神に近づくことです。(朝鮮人のような文化のない民族には理解しがたいようですが。)ほとんどの国の人々が神性を感じたいして心を神に向けようにもその対象は大昔に死んだ人物であったり、遠い異国の人物であったり、会ったことも見たこともない人物であったり、奇妙な理論や原理である場合がほとんどです。ところが、日本人は違う。
 実際に生ける神、天皇陛下に会ったことがある人は多いとは言えませんがが、顔ぐらいはみんな知っています。この差は大きい。日本人は、天皇陛下に一日一回でもいいから祈るあるいは想いを共有しようあるいは心を重ねようとする試みを天寿を全うするまで行えば最悪でも死後、神の末席には加われます。これは、日本人だけの特権です。
 特に昭和生まれの日本人は昭和天皇の想いに自分の想いを日々一致させようとするべきです。
 
 また、天皇陛下は国民の平和のために祈っておられるから尊いなどと発言は、天皇陛下の神性を否定し日本を壊そうと企んだ米国務省と内容的には同じなので、そのような発言をする人物からは距離を置くようにするべきです。

以下は保守といわれる人の文章ですが、陛下をただの真面目で優しい人ととらえているのがまるわかりの文面です。(天皇陛下は祈ってくださるから尊いのではなく神性を持って祭事を行われるから尊いのです。)天皇陛下の神性を無視するのなら、戦後日本を解体しようとした米国務省や特亜と同じ考えだと揶揄されても仕方ありません。以下に、一見保守内実?の文章を貼り付けておきます。

短い正月休みだったが、今年の歳旦祭(さいたんさい)はとりわけ心にしみた。

毎年大晦日から元旦にかけて、私は近くの神社に足繁く通う。まず大晦日の夕方の大祓式で、絹の袍(ほう)(大袖の上着)と袴、いずれも純白の装束に身を包んだ宮司さまに一年間の罪と穢を祓い除いていただき、新年に備える。今年もまた、多勢が集った赤坂氷川神社で、顔見知りの人たちと一年の無事を確認し合って嬉しい気持になる。

除夜の鐘が鳴り響くころ、厚着で初詣に出かける。赤坂氷川神社の初詣の楽しみは、江戸時代の文化財が楽しめることだ。同神社の御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)である。天照大神の弟神の素戔嗚尊は、天上では暴れん坊で悪役の神として描かれているが、出雲に降臨して以降は勇敢かつ素朴で平和な神として知られる。

出雲では八岐大蛇(やまたのおろち)を征伐し人身御供の奇稲田姫(くしいなだひめひめ)を助けた。後に姫と結婚し、大国主命(おおくにぬしのみこと)が生まれた。両神様も赤坂氷川神社の祭神である。

今年、境内には、日本武尊(やまとたけるのみこと)の珍しい女装姿の人形が飾られた。敵を待ち伏せするための女装で、江戸時代後期の作だ。丈高い人形や夜空の星を眺める内に参拝の順が回ってきた。一年間守っていただいたお礼を心の中で言上し、甘酒をいただき、おみくじを引き、参道脇で赤々と燃える焚き火で暖をとり、家路に向かう。

元旦は早々と身仕舞を整え、歳旦祭に出かける。宮司に合わせて皆深く一礼する。日本人はお辞儀に深い意味をこめるのだ。宮司の四方拝につづいて祝詞が上げられ、新年の日本の安泰と国民の幸福が祈念される。

一時間ほどで終わった歳旦祭の最後に宮司の惠川義昭氏が語った。

「毎年、皆さんの幸福を願い歳旦祭をとり行えることを本当に感謝しています。ですが、天皇陛下は、私たちよりずっと早く、陽も上がらない時間に、国民全員のために祈って下さっています。有難いことだと感謝せずにはいられません」

国民の幸せのための祈り

私ははっと気付かされた。多くの日本人は天皇陛下が折りに触れ、国民のために祈って下さっていることや皇室の最重要の役割が国家、国民の安寧を願う祭祀であることを意識さえしていない。知りもしない。

実際に天皇陛下はどのように祈って下さっているのか。「産経新聞」の宮内庁担当記者だった山本雅人氏の『天皇陛下の全仕事』(講談社現代新書)で見てみよう。ちなみに氏は担当記者として毎日拝見することになる以前と以後の「天皇像」に大きなギャップがあったとし、一般の国民も同じだろうと感じて本書をまとめたそうだ。報道される皇室関係のニュースでは、「一般参賀や地方訪問でのお手振り」などが皇族の仕事だと考えがちだが、実際は全く異なる。もっと重要な、国民の幸せのための祈りは皇室の私的行事と位置づけられ、殆んど報じられない。しかし、国民に伝えられない祈りこそ、皇室が常に最重要視し、自らの存在意義としてきた重要な活動なのである。

『天皇陛下の全仕事』によると、天皇陛下は元旦の午前5時半には宮中三殿に並ぶ神嘉殿(しんかでん)の前庭にお出ましになる。庭中央の、屋根だけの東屋風の簡素な建物には清潔な青畳が敷かれ、陛下はそこで皇室の祖先神が祭られている伊勢神宮に遥拝し、国の安泰と国民の幸福、農作物の豊作などを祈り四方拝を行われる。元旦の東京の日の出は午前6時50分頃、したがって周りは暗く、厳しい寒さの中での厳粛な祈りである。

御所から神嘉殿に向かわれる陛下をお見送りして、皇后美智子さまが詠まれた歌を、山本氏は紹介する。

年ごとに 月の在(あ)りどを 確かむる 歳旦祭に 君を送りて

歳旦祭に臨む前に、陛下はすでに御所で身を浄め、身装いを正しておられる。祖先の神々に祈りを捧げるずっと前から始まる仕度を、皇后さまは陛下と呼吸を合わせるようなお気持で見守っておられることだろう。そして、いよいよお出ましの時、闇に鎮まる皇居の森から視線を空に上げて、月の光を探される美智子さまのお姿が浮かんでくる。

今上天皇は、新聞もテレビもあまり報じないこうした古代の祭祀を非常に大切になさるという。自らを慎み古式の装束での祭祀は年間30回を超えるそうだ。それを忙しい「公務」の間に手抜きもなさらず、とり行っておられる。かつて天皇は日本のまつりごとの主宰者だった。まつりごとは「祭り」であり「政」だった。これを一変させたのがGHQだ。

『天皇と神道 GHQの宗教政策』(サイマル出版会)で、ウィリアム・ウッダード氏が詳述しているが、GHQは統合参謀本部の命令に基づき、日本国の大変革に取り組んだ。柱は「神道の国家からの分離」と「神道の教育制度からの除去」、即ち、「天皇の人間宣言」と「神道指令」だった。前者の説明は不要であろう。後者は「神社神道を国教とする制度を廃止し、政教分離の原則を確立し、宗教と教育から軍国主義と超国家主義を除去すること」だった。

日本の文化文明の芯

米国務省は神道が軍国主義の元凶であり、日本政府が国民に神道信仰を強要してきたと考えたのだ。この誤った認識に基づいて、米国は日本の文化及び国の形まで変えた。その一端が祭祀を天皇家の私的行為と位置づけ、日本人の生活から神道に関係するすべてを取り除くことだった。

一例が祝祭日の命名である。2月11日は神武天皇即位を祝う日で、かつて紀元節と呼ばれた。占領軍は神道排除に走るあまり、「たとえ国会で紀元節が承認されても、これを許可することはできない」として、2月11日の祭日を許さなかった。一体全体、一国の建国記念日をここまで否定してよいものか。

ちなみに、2月11日は戦後21年目の1966年、「建国記念日」と名前を変えて祝日となった。

農業国日本の一年は、天皇が国民の安寧と五穀豊穣を神々に祈って下さり、その祀りを軸にすぎていく。国民の生活も祝日も同様である。1月1日の歳旦祭のあとは2月11日の紀元節、3月21日の春季皇霊祭、8月15日のお盆の日、9月23日の秋季皇霊祭、10月17日の神嘗祭、11月23日の新嘗祭などが続いていった。

これらは戦後、春分の日や秋分の日、文化の日や勤労感謝の日となり、歴史とも文化とも、また四季とさえも無関係の祝日になった。皇室の祈りは天皇家の私的行事に矮小化されたまま、現在に至る。そのことを指摘したのが惠川宮司の挨拶だった。

皇室はいま国民の無関心や知識不足の中で、皇位継承問題も含め大きな危機に直面している。そのことは、そのまま日本の危機である。日本が漂流し始めたいま、日本の文化文明の芯となってきた皇室と国民の、来し方行く末を考えたいものだ。皇位継承の安定を保つためにも皇室典範の改正も急ぎたいと切望する。


このコメントに引用されているエッセイは、「櫻井よしこオフィシャルサイト『国民に知ってほしい陛下の祈り』」で閲覧できます。