真心と思いやり

日本人の心は「真心と思いやり」、これに異論のある方はそんなにおられないんじゃないでしょうか。真心と一口に言いますが、これを得るのは並大抵じゃありません。自分の心を見つめて、磨いて磨いて自分の心を育て自分らしい自分になっていくのですが、ただ自分を確立すればいいのではなく、天道に適う自分でなければなりません。そうなってはじめて、真心を他者に感じてもらうことができます。ですので、多くの人は真心を得る努力の途中だろうと思います。

心静かに内省して磨いた心が、外に向くとき、情動を生じます。例えば、てんでんばらばらな音が不協和音を生じ、あるいは雑音にしかならないように、人それぞれが情の赴くままに行動していては、社会が混沌になってしまいます。そこで礼節を弁え、情と情が調和するようにしなければなりません。そのとき必要なのが思いやりの気持ちです。そのようにして情が通じあい、人間関係が自在となったとき、人は「心を分かち合っている」といいますね。

礼節を重んじることは少しも、自己を阻害することではなく、むしろ自己が他者と社会に向かっていくときには、必要不可欠なものです。そして、内省と外交の循環、繰り返しが人間を成長させていきます。

以上のことを踏まえて、「ぱよぱよ日記『X-day』」で取り上げられた、topazさんのご家族に対する心情について、考えてみたいと思います。

以下に「余命三年時事日記 『788 巷間アラカルト76』」より、topazさんの文章の一部をいくつか抜き出してみます。

「執拗で一方的な、気味の悪い他人から、犯罪成立の前に身を守るのは家族の役割じゃないかな」

「事実を提示しても納得しない家族が果たして正常といえるのか。 これは当人の問題であり、それを矯正するのは家族の義務です。避けることのできない重大な課題です。」

「日本には半島発のウソが多すぎて、その蔓延したウソを吸って、善良なつもりで生きてるあなたの家族を真人間にするのはあなたの役割であり、今こそ前に出て行く時ではないでしょうか。」


家族と心を分かち合えないことへの苛立ち、家族が道を誤っていることへの嘆き、家族に道を誤らせている者に対する怒り、家族に対する愛と、家族を守るという決意が感じられると思います。、

文字の記録にも残っていない遠い昔から、私たちのご先祖様は、自らの心を磨き、人のみならず山川草木にまで心を配って生きていました。そういう営みが日本の伝統となり礼節となり日本人の心となって、今の私たちに受け継がれています。しかし、反日マスコミの偏向報道、偏向放送、学校での偏向教育が、現在、多くの日本人たちを自らの心を内省することから遠ざけさせ、その心を曇らせ、暗くしています。それゆえ、家族に対して、自ら考え内省せよ、自らの心の曇りに気付き真心をとりもどせ、外に目を向けては、礼節が破壊され、まさに日本社会が崩れかけていることに気づけ、そう言いたいのです。

余命さんを慕うのは、ともに心を分かちあい、心を一つとして、日本を守り、日本を破壊しようとする者を退けようとする者たちです。私たちは、一人一人、自ら考え、内省して自分の真心を発見し、外に目を向けては日本の危機に気付き、余命さんにたどり着き、同志を見つけました。そこには何の規約も教条もありません。


「ぱよぱよ日記 『X-day』」より抜粋

「日本人らしくない」とか、巷な美学とかいう高等技術については、自分には理解出来ませんし、個人的には汚い手を使う相手に対して美学という概念に違和感を抱くし、日本人というのはそういった人種なのかなとは思うんだよね(笑)日本人の定義ってナニ??と思います。「日本人らしくない」とかいうのもレッテル張りなのかなとも思うよ。多分、ザパニーズの類似語という認識でいるけどねww

100%分かり合える存在など難しいわけで、出来る限り、敵を作らないように味方を増やすかの世界と思います。そこに綺麗事など存在しないし、目的の世界だけという世界ではないと思いますね。そういう意味では、パヨクの価値観とかいうのはわからないけどね(笑)価値観の絶対視というのは、内ゲバの温床なわけで・・・ww

この方は、余命さんを慕う者たちを結びつけているのが、価値観などではないことを理解していらっしゃいません。「日本人らしい」とか「日本人らしくない」というのは所詮、言葉の綾であって、そんなものに固執してはいないのです。私たちを結びつけているのは「真心と思いやり」つまり私たち一人一人の生き方そのものです。信じられるのは自分だけ、他者は損得、敵味方の座標上にプロットして自分の都合のいいように扱おうとするこの方が、あくまでも「余命ファン」を自称なさるなら、それでもいいのですが、私たちと同じ基盤に立つ方でないことは確かです。

この記事へのコメント

  • 信濃太郎

    ご挨拶が遅れましたが、ブロガーとしての船出、おめでとうございます。これからのご活躍を祈念しております。

    >そこで礼節を弁え、情と情が調和するようにしなければなりません。そのとき必要なのが思いやりの気持ちです。そのようにして情が通じあい、人間関係が自在となったとき、人は「心を分かち合っている」といいますね。

    人の幸せとは何ぞや。この答えは人それぞれ違うと思いますが、私は「心を通じること」だと思っています。
    日本再生という目的に向けて、多くの同志の皆様が、それぞれできることをしてご活躍されております。その中の一人に私も加えていただき、拙いながらもブログを綴って読者さんと交流できることは、幸せなことだと思っております。
    やってればいろいろありますが、お互いめげずにやっていきましょう。
    2016年06月01日 23:15
  • Tohru Kishii

    信濃さん、コメント、ありがとうございます。
    この記事は、信濃さんがおっしゃっていた「スタンドアローンコンプレックス」の私なりの解釈でもあります。私たちは誰からも強制的に束縛されていませんが、日本再生という目的において、心で繋がっていますよね。
    私も、その繋りの末席に加えていただけた上は、みなさんと共に闘ってゆきたいと思っております。どうぞ、よろしくお願い致します。
    2016年06月02日 00:17