「yosh氏の正体についての考察 2016/3/14」の再検証 4

■ はじめに
今回は、真・××××の大和教団に対する批判が根拠のあるものなのかを検証し、それが、ただの中傷に過ぎなかったことを示します。また、次回では、真・××××が「樒(しきみ)」であると指摘し、非難した神棚のお供えが、実は「榊(さかき)」であったことを示し、さらに、御神札に対する非難と合わせて、真・××××が、いかに他者を貶めることばかりに気を取られていたかを見ます。

■ 真・××××の大和教団への批判 1.「銭ゲバ宗教団体」
「真・カミカゼさん 2016年2月1日 北朝鮮拉致被害者で金儲けする連中」の中で、真・××××は大和教団を「銭ゲバ宗教団体」と言っています。また「インチキ神道系カルト」とも言っています。ここでは、初めの方を取り上げ、次の章で二つ目を取り上げます。

さて、「銭ゲバ宗教団体」ですが、その根拠として、「大和教団の信仰生活」の中の「お賽銭をつくる努力」が挙げられています。そこで、真・××××は、

「大和教団は神道系の新興宗教の形をとっているがwwww『「お賽銭をつくる努力』」を要求する、まともな神社ってあるか?…中略…要するにだ、大和教団は、神道系インチキ拝金で、wwww…後略」

と言っています。これが妥当な批判であるかどうか、検証します。先ず、大和教団の教義と信仰について、教団のサイトより引用します。なお、今後のすべての引用で太字、下線などの強調、注解は、私が施したものです。

*大和教団のサイトより抜粋
引用開始-------
◇大和教団とは
 保積史子の霊能により、大國主大神からの啓示をうけて、昭和32年3月8日、文部大臣の認証を得て立教された。

 爾来、大和乃大道(たいわのまさみち)を基(もとい)として、大國主大神を主祭神として仰ぎ奉り、開祖の大なる霊能力と御教えによる、神界・現界・霊界の三界の調和をもって、万物一切を生かす教えとして大衆の悩み苦しみを根底から救い導き、弥栄への道を樹立することを根本理念として、宗教活動を推進。平成7年11月3日第2代教主(おしえおや)として保積秀胤が教統を継承した。保積秀胤は開祖の三男で、そもそも天性として授かりし霊性・霊力(れいりょく)をさらに向上すべく二十有余年にわたり間断なく神ながらの道の修行に専心、研鑚を極めつつ今日に至り、開祖の御心を心として大和乃大道(たいわのまさみち)の宣布昂揚と教団運営にあたっている。

◇教 義 ・ 実 践
 開祖の御心のもと、祖神のご恩徳を奉戴し、人間の精神生活の基本である「大和乃大道(たいわのまさみち)」の宣揚につとめて、道義を作興し、もって万世の太平を開かんとするものである。

 すなわち、神界・現界・霊界の三界の調和の信仰として、この世を争いのない和の国にたかめ、宇宙万物の弥栄を限りなく造りはぐくむべく「一切を生かす教団」として、「大和(たいわ)」の大御名(おおみな)の如く、平和安泰の道を行じて、人類社会に貢献し、国家の隆昌と世界の共存共栄を祈り進めるものである。

 これらのことを実践するために、祈りと感謝と奉仕の信仰生活を励行し、神身(かみ)となるべく人格形成に努力精進すると共に、鋭意宗教活動に邁進するものである。

◇正しい信仰生活
・正しい信仰生活を日々実行しましょう
 素直な心で正しい信仰生活を日々実践すれば大國主大神様は必ずあなたとご家族とを明るく、笑顔のこぼれるような家庭へと導いてくださるでしょう。

 そのために日々3つの努力を心掛けましょう。
一、お祈りの時間をつくる努力
生かされていることへの感謝と日々の反省とお約束のために短い時間でもお祈りする時間をつくりましょう。

一、心をつくる努力
神に人に万物に感謝の心を培い言葉行為(ことばおこない)にて犯した罪咎(つみとが)の反省とお詫びの心をもちましょう。

一、お賽銭をつくる努力
日々の生活を少し慎み神様・ご祖先様に供えるお賽銭をつくりましょう。

・お賽銭を捧げましょう
神様・ご祖先様にお賽銭を捧げることはとても大事なことです。

 お賽銭は、感謝・反省・お詫び・約束そして願い事のために真心を添えてそのつど神様・ご祖先様に捧げるものです。

 心のこもらぬお賽銭はいくらお供えしたとしても、神様やご祖先様はお受けになりません。
 それはお金や物が真心によって霊と化し、はじめて神様やご祖先様がお受けになられるのです。いわゆるお賽銭やお供え物を神様やご祖先様に捧げるということは、形ある物を通して、自分の真心を神様やご祖先様に捧げるということなのです。

 お賽銭は「感謝」「反省・お詫び・約束」「お願い」のそれぞれの心を込め一日百円、月に三千円くらいを心がけることがよいでしょう。
 そうしたことを不断実行する心がまえと努力が神様の御心に大きく通じ、幸せに導かれてゆくのです。

 尚、お願い事の内容においては応分のお心を示すよう心掛けることが大事です。

・奉謝賽銭袋について
 お賽銭は、月に一度は本部にお参りし、大神様の御前にご奉告申し上げ神納しましょう。
 大國主大神様との結びをより堅固なものとするために、本部にお参りすることはとても大事なことです。

 どうしても本部に参拝・神納出来かねる場合は、住所氏名を明記して各教会・講社等にお預け下さい。またやむを得ず奉謝賽銭袋を郵送する際には、硬貨を紙幣に両替しても宜しいでしょう。
 その折には教団の郵便振替用紙を利用されれば便利でしょう。
-------引用おわり

以下、述べることはあくまでも私見で、正しい解釈ではないかもしれないことをお含みおき下さい。

ここで言われている「お賽銭をつくる努力」とは、誰でも無理なく実践できる「神界・現界・霊界の三界の調和」をもたらすための行であると考えられます。毎日一枚ずつ用意する百円硬貨は「現界」を象徴し、そのお賽銭に込める真心は「霊界」を、そして、たまったお賽銭を月に一度、神様に捧げることは「神界」に繋がることを象徴します。そして、毎日、毎月、この行を実践することで「三界」の調和をもたらそうとするわけです。

従って、日々の三つの努力は、祈り、反省、行からなっていると言えると思います。そして、祈りは神界に、反省は霊界に、行は現界に対応します。よく考えられた信仰の指針であるように思います。

一体、これのどこが「神道系インチキ拝金」で「銭ゲバ」なのでしょうか。この教義・実践、信仰生活の指針をもって、大和教団を「神道系インチキ拝金」、「銭ゲバ」と断ずることは出来ません。そのように断ずるためには、別の証拠、根拠を示す必要があります。そして、真・××××はそれを示していません。これでは、根拠なき批判、中傷と言われてもしかたがないでしょう。

■ 真・××××の大和教団への批判 2.「インチキ神道系カルト」
「インチキ」については、前章で見た教団の教義・実践が、そうではないことの証しの一つになっていると思います。ここでは、さらに東北地方の宗教を研究しておられる高棹健太氏の論文「新宗教教団による墨者養成とその解釈」より、大和教団の成り立ち、特色を見ていきます。

引用開始-------
東北地方のイタコやゴミソ[1]、オガミサマなどの呼称を持つ巫者、所謂「拝み屋」の存在は宗教学、民俗学等の諸学問からの注目を集め、浩翰な研究の蓄積がある。巫者に関する先行研究の多くが研究対象としたのは、口寄せや神懸かりといった「巫業」を営むために、寺院等の既成宗教教団から教導職免許を取得し、その後は、その教団から距離を置く「民間巫者」(個別的宗教者)であった。しかし、ここで着目せねばならないのは、そうした民間巫者が活動する当地において、教団の養成を受けた巫者が教会を設立し、その巫者らによって教勢を伸ばした新宗教教団が存在することである。
本論の研究対象は宮城県仙台市に本部を置く大和教団である。大和教団は、1957年間祖保積史子(以下、史子)への大國主大神の啓示を契機とし設立された新宗教教団である。大和教団の設立は史子自身が夫の保積謙光とともに1946年に設立した大和教からの分離によってなされたものである。史子は霊媒・神託等を行なうことにより東北地方を中心に信者を獲得し、96歳で帰幽した2003年には、信者数82.305人[文化庁編, 2005 : 60-61] に至る。2012年現在、開祖の息子である保積秀胤(以下、秀胤<ひでたね>)が二代日教主を務め、秀胤の息子で開祖の孫にあたる保積志胤(ゆきたね)が統理(三代目) を務める。教団運営は開祖一族によってなされており、信者数は現在90 699人にのぼる[文化庁編.2012: 64-65]。大和教団では、信者の一部から霊媒・神託を行なう「巫女」[2]を養成し、各地の教会に派遣している。…中略…

[注1]ゴミソとは…日本各地に残るシャーマニズムには、その土地が持つ霊的な力が大きく関係しています。アイヌのトゥスクル、沖縄のユタやノロ、東北・恐山のイタコなどが知られていますが、これらはみな、その土地の宗教や信仰に深く結び付き、神や霊と人とを結ぶ働きをしています。また、これらの有名なシャーマン以外にも、より地域密着型のシャーマニズムを背景とするシャーマンもいます。そのひとつが「ゴミソ」です。

ゴミソは、ある日突然、神が降りて憑くことで誕生するとされています。生まれつき霊的な能力を持っていたり、家系に巫女的な要素を持っていたりという遺伝や血筋、性質は関係しません。ごく普通の人が「自分に神が降りたこと」または「自分自身が神となったこと」に気付き、ゴミソとなるのです。そのため、ゴミソになりたいからと修行をしても、ゴミソになることはできません。ただし、ゴミソとなった人がより優秀なゴミソになるため、言い換えればより神としての力を発揮できるようになるための修行は、常に行われています。

ゴミソは自身が神であるとされるものの、その本質は人ですから万能ではありません。その能力は修行によって研ぎ澄まされ、強くなることもありますが、できることは限られます。一般的にゴミソにできると言われているのは、憑きものを払うこと(除霊や浄霊)、病気の治療を助けること、神への祈祷を通じて占うことなどです。
霊能力入門 より

[注2]巫女とは…巫女は、古来より神託を得たり、口寄せなどを行ったりする重要な役割を担い、雅楽の舞や占い、祈祷などに長けていた存在でした。神社で神事の奉仕をする役目がスタートしたのは、明治時代以降だったといわれています。

巫女は日本の民俗学者の代表ともいうべき柳田國男や中山太郎によって研究され、朝廷の巫(かんなぎ)としての役割と、民間において活躍した「口寄せ」としての役割に、二分できるといわれてきました。柳田によれば、この二つに分けられる巫女は、元々は同一の者を表していたそうです。しかし時代と共に、特定の神社に所属するのではなく、全国を遍歴して祈祷や託宣、勧進などを行いながら生活をしていた巫女たちの歴史が築き上げられました。
霊能力入門 より
教会運営は「巫女」の巫業を中心として行われているため、信者は巫業を目的として通う「依頼者」の性格が強いものとなっている。いわば「クライアント的所属」であり、「巫女」と信者の個人的なつながりに留まってしまう事は、大和教団の教団運営において問題となっている。それは、「巫女」への個人的な信頼、期待によって教会に通う「クライアント的所属」意識が高いことにより、その「巫女」の死別や教団からの離脱といった事態が発生した場合、その「巫女」の元を訪れていた信者そのものを失う可能性があるからである。そのため、大和教団では、「巫女」と信者の個人的なつながりから、教団に対しての所属意識を高めることが、信者数維持に関して重要な課題となっている。
このような教団の認識は、教団運営を双肩に担う教主秀胤の言葉にもあらわれている。秀胤は、教団の運営について今まで「祈祷型・個人型」の教団であったとして、個人型から皆を集い大和教団の教えを学び合いそれを生活の中で実践する「集会型Jの宗教へ教団運営の舵取りを行なうと述べている。…中略…

かかる教団運営において、霊媒・神託といった巫業の位置付けは決して高いものではない。これは大和教団において信仰の実践こそが重要であり、その実践により「大和の教えの根本は万物一切の弥栄を願って万物一切を生かす心を養うとともに人聞が人間として生きていくにふさわしい精神を養うことにある[大和教団, 2006: 1 -2] とされていることからも分かる。大和教団では、このような信仰の実践がオモテであるならば、そのウラが霊媒・神託であると説明される。巫業はオモテの信仰実践の補助・補完的な役割であり、霊媒・神託そのものが信仰の根幹になるものではないという。…中略…

現在まで、筆者が調査した結果では、大和教団の教勢展開とその地方の巫者信仰には密接な関係がある。「巫女」の動は、東北地方の民間巫者との類似性を有しており、信者の多くはそのような所謂「拝み屋を訪れた後に「巫女」にたどり着いた者も多い。「巫女」は類似性を持つことによって周辺地域に溶け込み、信者圏を拡げているのである。大和教団にとって「巫女」は、信者獲得の重要な担い手となっている。これは、教団の主な布教活動が「口コミ」でなされているためであり、各地の教会で来訪者を対応する役目を担うのが「巫女jであるからである。しかし、「巫女jを媒介とした教勢展開は、信者と「巫女Jの個人的なうながりに留まる可能性をもつものであり、教団とのつながりの希薄化を生み出す要因となってしまう。教団運営において「巫女」と信者の個人的なつながりを超え、教団とのつながりを持つことができるかが問題となっている。
-------引用おわり

この論文では、大和教団の特色として、

1. 教会運営が「巫女」の巫業を中心として行われている。

2. 信者は巫業を目的として通っており、「依頼者」の性格が強い。

3. 信者は「巫女」との個人的な関係が強く、教団への帰属意識は相対的に弱い。

ということが、挙げられています。東北地方の伝統的な巫者信仰と大和教団の活動、信者獲得とは、密接な関係があり、この伝統に溶け込むことによって、教団は教勢を拡大してきました。このことはまた、教団や教団に属する「巫女」がインチキなら、信者は他の巫者の元へと行ってしまうということでもあります。現在の大和教団を見る限り、教団は信者の求めているものを与えられているからこそ、教勢を拡大できているのであり、その意味では、インチキでないことを証ししていると言えるでしょう。

また、信者の「巫女」との個人的な関係が教団との関係よりも相対的に強く、また、信者は依頼者的な立場であるということからすると、大和教団はカルトではあり得ないことになります。何故なら、教団と「巫女」、「巫女」と信者との関係は、それぞれ支配、被支配の関係ではなく、それぞれの信頼関係に基づくものであり、信頼関係が崩れれば、教団、「巫女」の元を去るのは自由で、教団の外の世界にも開かれているからです。

ここで、以前、ご紹介したことのある「カルトの見分け方」をもう一度、参照してみます。

*カルトの特徴とは より

引用開始-------
カルトの見分け方
カルトを見分けるのに分かりやすい特徴を箇条書きにするなら、以下のような点を挙げることができるでしょう。これらをチェックしていけば、その宗教がどれほどカルト性を持っているかを知ることができます。必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当てはまるなら、カルトと考えて差し支えないと思います。
1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない
3.自分の頭で考えることをしないように指導する
4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い
6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる
9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている
10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
11.外部に対して正体を隠す傾向がある
12.生活が細部にわたって規定される
13.組織が信者の生活のすべてになっている
14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える』
-------引用おわり

これまで見てきたことにより、大和教団が上記のリストにほとんど当てはまらないことが、お分かりいただけると思います。また、ここではご紹介しなかった「教主様のお言葉 出雲大社遷宮参列、3泊4日の旅」もご覧になっていただくと、大和教団がその主祭神である大國主大神の専有を僭称していないこと、出雲大社との関係を尊重していることなどが窺えると思います。

以上の考察により、大和教団が「インチキ神道系カルト」というのは、根拠のない批判、中傷であると言えると思います。

■ カルトとレッテルを貼ることの意味
*偶像の輪郭 より
引用開始-------
特定の宗教を7年間信仰した僕が感じたこと。

なぜ僕がこのようなことを書くかというと、

世間的に「カルト」と言われる団体に身を置いてきた「約7年間」、周囲との関わりの中で、日本人の「宗教嫌い」という性質を嫌というほど実感してきたからです。

「カルト」というレッテルを貼られるだけで、人格的な意味での「僕」を見ずに、敬遠され、多くの人に人間性そのものを短絡的に否定されてきました。

まるで「蠅」のように振り払われることが常識化してしまえば、本人とのコミュニケーションの機会自体も失われてしまうわけで、

すると、対話を行ったり、互いの主義主張を理解したり、改善すべき点は改善しようなどといった、建設的な気運までもが失われてしまいます。
-------引用おわり

*「カルト」とは何か?―宗教学から見る今日の社会 より
引用開始-------
カルトの背景には常に、生きる意味の喪失、家族関係の破綻、社会における孤立、経済的困窮など、社会全体が抱える問題がある。そうした背景を考慮に入れずに、表面に現れた「カルト」をひたすら叩くだけであれば、事態は改善せず、混乱に拍車を掛けることになるでしょう。しかし現状では、カルトという対象についての理論的把握や、その対処法に関する原則論や共通了解も存在しないまま「カルト対策」が行われています。社会病理や社会問題についての冷静な議論の場にならなければならないはずの「カルト対策」が、陰湿な中傷合戦、人権侵害、思想弾圧、暴力行為の温床となっているのです。
-------引用おわり

生きることの意味を求めて、あるいは、人知では解決し難い人生の苦難、苦悩からの救いを求めて信仰を持つようになることは、悪いことではないはずです。しかし、世間では、何故か「信仰」、「宗教」と言うとそれだけで、中身を確かめることもせずに「危険」とされ「疎外」される傾向があります。それは、『偶像の輪郭』で、筆者がおっしゃられている通りでしょう。そして、そのような「疎外」が「『カルト』とは何か?-宗教学から見る今日の社会」にあるように「陰湿な中傷合戦、人権侵害、思想弾圧、暴力行為」を生み出すのです。

真・××××は、そのような現代社会の「急所」とでも言えるな所を突いて、和田政宗議員など、特定の個人、団体に「反社会的」という印象付けをし、彼らの社会的信用を毀損するように画策しました。大和教団、大國神社をカルトと決めつけたのには、そのような狙いがあったからです。そして、(ここでは、yosh氏=真・××××と仮定してお話しますが)真・××××の2ちゃんへの書き込みとカミカゼブログだけでは、余命読者への波及力が弱いので、『ぱよぱよ日記』という余命ファンサイトとされているものの中でも比較的、有力でよく読まれているブログを用いて、それを弘めようとしました。

『ぱよぱよ日記』は、H氏=真・××××が余命さんと、余命周辺、余命読者に対して、工作を行うために開設したものではないかと推測しています。そこにおいて、これまで、余命読者に対し様々な印象操作、刷り込みが行われてきました。そして、その工作の根底には、いつも、「カルト」が絡んでいることに注意が必要だと思います。先程も見ましたように、「カルト」問題の根底には、社会からの疎外、差別意識が潜んでいます。そのことを踏まえると、余命さん、余命読者、余命周辺ブログとその読者といった「余命集合体」に対して「カルト」に絡めた工作を仕掛けるとは、「余命集合体」に分断と内部抗争をもたらすよう画策しているということです。そして、それはまた、「余命集合体」自体が社会から疎外されることを狙ってもいます。

上記に述べたことを念頭に置いて、当ブログの過去記事

ある余命ブログ投稿者さんへの侮辱に関する考察
真心と思いやり
「照千一隅」と余命さん
十七条憲法と余命さん

を読んでみて下さい。

「俺はこう思うwwww
破壊した後の世界で、どうすれば俺は最もいい思いができるかwwww
みんなで仲良く、ではなく、俺がいい思いをするにはどうすればいいかwwwww」

これは、カミカゼブログ「真・カミカゼさん 2016年3月7日 ハードランディングで最後に笑うのは誰だ」で、真・××××が言っていることです。疎外と分断の果てにあるのは、個人がそれぞれの剥き出しの欲望を抱えて争い闘う世界でしょう。H氏=真・××××の根底にあるのは、そういう世界です。そして、彼の策略に乗るのは、そういう世界に連れて行かれることなのです。

人が互いに尊重し合い、節度を持って生きる調和ある世界に生きたいのであれば、真・××××につけこまれるような、他者を簡単にカルトと決めつけてしまう偏狭な心を克服しなければなりません。もしかすると、彼は、私がそのような心を克服するために遣わされたのかもしれないとも思うのです。

[追記]2016/12/06 大和教団の教義・実践に関する私見を述べた箇所で「業」となっているところを「行」に訂正しました。

この記事へのコメント

  • 自衛隊霊

    再検証4お疲れさんでした。
    しかしH氏はドレス事件でネットの有名人になり、何も知らない一般人を攻撃し(ミワの指示も含め)なおかつ団体までもがターゲットだったんですね。かつての仲間?割れで「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の発想なんだろけど私の読みなんですが、ミワとH氏はH氏の逮捕もしくは取り調べ後少し距離を置いているのか、もしくは仲たがいしたのか、H氏のみ離脱しなければいけない状況になったかもですね。
    なぜなら関連ブログにはミワが書いている気持ち悪い長文がありスレットでも彼女特有な自分の罪をあたかも人の事のように書いています。
    2ちゃんねらーは相手にもしていないのですが、自作自演ばればれですぐにミワとわかる文章ですね。かみかぜさんもとんだとばっちりを受けたのですが、精神状態はあれていると思います。絶対味覚の専業引きこもり主婦なので時間はたくさんありますから、2人分の更新大変ではないと思います。
    しかしH氏にも家族がいるのに全部知ったら家族はドンびくし、ミワとは縁を切りたいでしょね。
    ちなみにミワにも旦那いますが。
    管理人様もミワは気になってしょうがないようなので、長文メールが届いているようと推測されますが無視が一番です。
    読んだら気分が悪くなるのでお気を付けください。そこだけは親切に「おまえのことがかかれているよ」と教えてくれますから
    次回のネタ切れしないのが悲しいけど楽しみにしています。
    2016年11月14日 14:41
  • Tohru Kishii

    自衛隊霊さん、コメントありがとうございます。


    >管理人様もミワは気になってしょうがないようなので、長文メールが届いているようと推測されますが無視が一番です。

    ご助言、ありがとうございます。

    2016年11月14日 19:28