火の神話的、文化的意味とお焚き上げ

今回は、火に纏わる神話を取り上げて、これまでに見てきた事柄がそこに集約されていることを見ていきたいと思います。さらに、その文化的な意味について触れたいと思います。なお、以下の引用中の下線、太字の強調は私が施し、注釈は私が加えました。

ひむか神話街道
50の物語 神話編
1. 火の神カグツチの誕生とイザナミの死
http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/50story/shinwa/002/

イザナミを失い悲しみに暮れるイザナキ
イザナキとイザナミは、高天原(たかまがはら)からオノコロ島に降り立つと、さっそく大きな御殿(ごてん)を建てました。

そして、ある日、二人っきりになるとおたがいの体をジロジロと見くらべました。

『私の体はこのようにつくられていますが、足りない部分があるようです』とイザナミが言いました。

イザナキは
『私の体には反対にあまっているものがあります』
『では、足りない部分とあまっている部分をあわせて私たちの国をつくりましょう』

こうして、イザナキとイザナミはたくさんの島をつくりはじめました。

アワジの島、ツクシの島、イキの島、サドの島などです。

次に、イザナミはたくさんの神さまを生みはじめました。

家や土地の神さま、海の神さま、風や木や山や野の神さま、船の神さま、食べ物の神さまが次々に生まれ、最後に火の神さまが生まれました

火の神さまの名前はカグツチ。

しかし、炎に包まれて生まれてきた火の神を生んだことでイザナミは大やけどを負ってしまい、そのことが原因でとうとう死んでしまいました

『たった一人の子のために、いとしい人を失ってしまった』

大好きなイザナミが死んでしまったイザナキは悲しみ、大声で泣き続けました。

そうしているうちに、イザナキの心の中にカグツチへの怒(いか)りと憎(にく)しみがフツフツとわきあがってきました。

そして、とうとう腰にさげていた“十握の剣(とつかのつるぎ)”でカグツチを三つに切ってしまったのです。[1]

イザナミを失い我が子さえも殺してしまったイザナキ。その悲しみはいつまでもやむことはありませんでした。」

[注1]このとき、カグツチを切った剣から滴る血とカグツチの死体から、神々が化成します。それらの神々は、火で作られる刀剣、農具、農業、水、火山、山などを象徴すると考えられます。

2. 黄泉の国
http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/50story/shinwa/003/

イザナミを追って、イザナキ地の底へ
イザナミを失ったイザナキは、あきらめきれずに、ただただ会いたい一心でイザナミのいる

“黄泉(よみ)の国”へと出かけていきました。

『イザナミ…イザナミ、私のイザナミはどこにいる?』

イザナキはいっしょうけんめいにイザナミをさがしました。

そして、イザナミをようやく見つけると、こう言いました。

『いとしいイザナミよ。まだ国づくりは終わっていません。さあ、一緒に帰りましょう』
すると、イザナミは答えました。

『私は、黄泉の国の食べ物を口にしてしまったので、帰ることができなくなってしまいました。でも、あなたが、こうしてわざわざ迎(むか)えにきてくれたので、この国の神に相談してみます。その間、決して私の姿を見ないでください』

イザナキは長い時間イザナミが出てくるのを待っていました。

しかし、いくら待っても出てきません。イザナキはとうとうがまんできずにイザナミのいる御殿(ごてん)に入り、中をのぞいてしまいました。

そこでイザナキが見たものは…あまりにも変わり果てたイザナミの姿でした。

顔や体中にウジ虫がはいまわり、体のあちこちには、それはそれは恐(おそ)ろしい姿をした化け物たちがうごめいていたのです。

すっかり恐ろしくなったイザナキは、いちもくさんに逃げ出しました。

『こらあ~!イザナキ。逃げるのかあ!私にに恥(はじ)をかかせおって!』

イザナキがうしろを振り返ると、体のあちこちからウジ虫をぶら下げたイザナミがこわい顔で追ってくるではありませんか。

いよいよこわくなったイザナキは、必死に逃げました。そして黄泉の国の出口にようやくたどり着くと、近くにあった大きな岩で道をふさいで、やっとのことでイザナミからのがれることができたのでした。」

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3. イザナキのみそぎ
http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/50story/shinwa/004/

みそぎの地は日向の地
ようやく黄泉の国から戻ることができたイザナキは、イザナミに会いにいったことをとても後悔(こうかい)していました。

黄泉の国で、私の体は大変けがれてしまった。きれいに洗い清めなければ

こういうと、イザナキは“筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎがはら)”に出かけ、そこで“みそぎ”をすることに決めました。

まず、持ち物や身につけていた衣服を脱ぎ捨てました。するとそれらの物からたくさんの神さまが生まれました。

つえから生まれた神さま。帯から生まれた神さま。小物を入れる袋から生まれた神さま。衣から生まれた神さまなどです。

裸になったイザナキは、チャポン…チャポンときれいな水の中へと入っていくと、中に潜(もぐ)って体を洗いはじめました。

するとどうでしょう。今度もたくさんの神さまが生まれたのです。

イザナキの体からでた汚れから生まれた神さま。水底で体をすすいだときに生まれた神さま。水中で体をすすいだときに生まれた神さま。水面で体をすすいだときに生まれた神さまなどです。

そして、体がすっかりきれいになったイザナキが、最後に顔を洗ったときのことです。

左の目を洗うとアマテラス。右の目を洗うとツクヨミ。そして鼻を洗うとスサノオが生まれました。

イザナキは、みそぎの最後に生まれた三人の神さまの誕生をとても喜び、アマテラスには高天原(たかまがはら)を、ツクヨミには夜を、スサノオには海を、それぞれ治めるよう告げたのでした。」

4. 清明伝(9)-火は活ける神- より
http://www.nihonkogaku.com/content/report.cgi?co=206
引用開始-------

火はわたしたちの生活において欠かすことのできないほどの恩恵を与えてくれますが、逆に大きな災いを起こすこともあります。このことは、火神の誕生によって母神である伊邪那美神が黄泉国(よみのくに)に入ることになり、さらに火神も父神である伊邪那岐神によって斬首されるという凶事が遠因になっているものと考えられます。また、古くから日本では「刃物を竈の上に置くと必ず身を傷つける」とされてきましたが、これは火神が父神の剣で斬られたことに起因しています。…中略…

このことについて本居宣長先生は、「伊邪那岐、伊邪那美二柱の天神(あまつかみ)の、国土また諸々の神等を生み生みて火産霊神(ほむすびのかみ)生み給えるまでは、物の成れる吉事のみにて凶事は無かりしを、彼(か)の火産霊神を生み給えるによりて、伊邪那美大神の神避(かむさ)れまししは世の中の凶事の始めなり。されば火産霊神は、吉事の終わり、凶事の始めの際(きわ)に成りませる故に、吉と凶を兼ね給える神にませり。火は世の中に物を熟し整え成す功多くして、また万(よろず)の物を焼き亡ぼす禍事(まがごと)も類無し。これ吉と凶の際に成りまして、吉と凶とを兼ね給えるこの神の御霊(みたま)によるものなり」と記されています。

「竃(かま)の火の穢れ忌々(ゆゆ)しも、家内(いえぬち)は火し穢るれば禍(まが)起こるもの」

 これは本居先生が詠まれた『玉鉾百首』の一首ですが、「忌々しも」は大切にして恐れ慎むべきこと、「禍起こるもの」とは災難凶事が起る理由のことです。それは、穢れは全て黄泉国に属するために、火の穢れがあれば火神の怒りによって禍事が起こるからです。
 このようなわけで、御母・伊邪那美大神も甚(はなは)だしくこの神に御心をおかれて「心悪子(こころあらぶるみこ)」と宣(のたま)われ、もし火神が荒ぶる時には鎮め奉るため、水神、土神、匏(ひさご)、川菜(かわな)を生み置かれ、その徳(はたらき)によって鎮め奉ることが伝えられており、これが鎮火祭の元となりました。…中略…(祭事に火を忌むことは日本だけでなく中国もインドも古昔は同じでした。いわゆる道家ではとくに大切にしますが、その道の元は神代の古神道より出たもので、足が冷えたのを火で直接暖めることも重く戒められています。)

また、平田篤胤先生は火の扱いについて次のように記されています。(現代語訳:清風道人)

火はまさに活(い)きたる神におわし、その御霊を分けて日々に用いる道理を弁(わきま)えず、いとも礼無く、忌々しき汚穢(おわい)をも行っていることに心付かない人が多いようである。それは、煙草を吸う人が灰皿に火を投じて唾(つば)で滅するなども火神に礼無きことであり、あるいは煙草の火、提灯(ちょうちん)の火などを足で踏み消す人が多いのは甚だしく非礼なことである。また、田舎の人などで竃(かまど)や炎の中に唾を吐き、吸殻を吹き入れ、あるいは鼻汁をかみ入れる者も多いようであるが、みな道理を知らない者が常に行うことである。古学を学ぶ人は、このようなことをする人を見たならば平穏にたしなめて止めさせるべきである。」

 火(ひ)と霊(ひ)は同質ですので、神前や霊前に供した火を手で扇いで消したり、穢れの混入した吐息で吹き消すなどは以ての外で、古学を学ぶ人は、清めた扇子などを用い、感謝の心を込めた清風によって静かに消火するべきしょう。(点火の際は、もちろん「火は活ける神」の心を以て前述の神火清明章を念祝致します。…中略…
 
 また、欧米風の誕生日の祝い方として、バースデーケーキにキャンドルを灯すという風習がありますが、これは生誕祭が甚だしく訛伝したもので、地界に生まれ出てきた因縁の日に、その祝い火を自分の吐息で吹き消すなどということは、これからも燃やし続けていくべき自らの霊魂(生命)の象徴を、自ら葬り去る大凶事といえます。

-------引用おわり

5. 火神の変化無量の霊徳 より
http://www.nihonkogaku.com/content/report.cgi?co=54
引用開始-------

火神(ひのかみ)は神々の中でもとくに変化無量の玄妙なる霊徳をそなえているため、この神の徳が加わる時は今の人の世においても不可思議な変化が起こります。…中略…

 この自然界にある万物は元素が凝結したものですが、すべて即化する(一瞬の内に変化する)ものではなく、順化する(時間をかけてしだいに変化する)ものです。卵の殻を破って外界に出てきた生体は時間の経過とともにしだいに形体が変化しますが、もし一瞬の内にそのような変化が起これば、この世界では奇跡といえるでしょう(卵の中身はクラゲナスタダヨヘル状態であり、それが修理固成されて骨格や筋肉や内臓などに変化すること自体が奇跡といえば奇跡ですが)。…中略…

 しかし火徳が加わることによって、即化の神術ともいうべき奇跡が当たり前のように起こります。前にも述べましたが、陶器のようにはじめは柔軟なものを石質に即化させるのは火徳です。…中略…
 そしていったん石質に変化した以上は、再び火でその質を変ずることがなければ、たとえ粉々になっても石質が変化することはありません。また、金属のように強固なものを作り上げるのも火徳です。これに対して、物質である万物を即時に変化させるのも火徳であり、どんなに大きく、どんなに強固な建物でも、火徳が加わると短時間で消滅してしまいますが、まさに玄妙不可思議な即化の神術といえるでしょう。また、草木に火徳が加わると炭となり、浄化能力が優れた物質に変化することは、火徳によって物質が変化する火尸解の神術といっても良いでしょう。
 この火徳による即化の奇跡について、わたしたちが不思議に感じないのは、それが日常の習慣となっているからに他なりません。

 宇宙間の玄妙不測の変化はもとより人間界において製作する物品の変化に至るまで、火神の徳が加わらなければ成しえないことを思えば、「変化の本源は火神に帰す」といっても過言ではないほどのご神徳であり、火神の御子である和久産霊神(わくむすびのかみ)は、動物や昆虫、魚類だけでなく五穀の元種までも生み成す霊徳をそなえていることが伝えられています。
 また、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の指の間から漏れ落ちた火神の血によって化生した龗神(ろうしん)[2]の子孫である龍が、現在でも幽界や顕界を往来するほどの無量の変化の徳をそなえているのも、この火神の系統をひいているためと考えられます。 …中略…

 わたしたち人類がいつから火を使いはじめたのか定かではありませんが、火を用いるようになってから、飛躍的に人間界が発展したことは間違いないでしょう(神代第四期の大国主神の時代において、人類に火食の道が開けたことが伝えられています)。現在のわたしたちの文明を支える電力などもすべて火徳より起こるものであり、また日・火・霊が同じ性質をそなえていることを思い起こせば、火徳による恩恵を決して忘れてはならないことがわかります。

-------引用おわり

[注2]淤加美神(おかみのかみ)のこと。伊耶那岐命が迦具土の首を剣で刎ねた時、剣の柄を握っていた指の間から滴り落ちた血から化成した三柱の神のうち、闇龗神(くらおかみのかみ)と高龗神(たかおかみのかみ)を同一の神、または、対の神として、その総称が龗神であるとされる。水の神。

6. 火と穢(ケガレ)より
http://kousyou.cc/archives/4085
引用開始-------

古来より、日本では火事は宗教的犯罪の結果とみなされてきた。なんらかの罪がケガレを生み、ケガレが火災を生むという因果関係が信じられており、火はそのケガレを浄化するものと見なされていたが、一方で、火災を起こした当事者は放火であれば重大な罪を犯したと、失火であればケガレの状態に陥るとされてきた。[3]

[注3]コントロールできない火は、伊耶那美命が命を落としたように、「気枯れ」を引き起こすということでしょうか。

波平美恵子「ケガレ」によると日本社会においては『火というもの、あるいは火の制御、制御の失敗ということを次のように認識してきた』(波平P198)という。

「(1)火の制御(コントロール)に失敗すると、社会的かつ文化的な秩序を乱すこととみなされ、社会的に大きな犯罪を犯したことにもなるが、また当事者はケガレの状態に陥り、火事の現場や周囲もケガレの状態になる。
 (2)放火によって人や器物、建物や動物を破壊し害することが許されているのは、天皇のような絶対的権力者が、自らの権威(それは神聖視されている)を脅かそうとする者を処罰する場合のみである。天皇の権威ははじめ、神聖であるものを侵すと、それに対して火刑という形で処罰が与えられる。火災を神の処罰と考えるのはそれと同じである。」

火を起こす行為そのものに罪やケガレがあるわけではないが、『不浄なものを焼いた火、あるいは不浄な場所にあったり不浄な人間の触れた火は、逆に不浄な存在へと変わる』(山本「穢と大祓」P76)という。神事の火を隔離する、葬家の火を忌む、出産前後の妊産婦は別邸で食事の煮炊きする、などの別火の風習や、他者と同じ火で煮炊きしたものを食べる合火という行為を穢れた状態にあるとされる人と行ったことで穢れが伝染するとされる風習などがあった。

古来より火は神聖性を与えられてきた。制御された火は文化と秩序とを作り上げる力を持っており、秩序はその火を使いこなすことで権威立てられる。記紀の伝承にある叛乱、特に天皇の権威に対する挑戦に対する罰は火刑が用いられている例が多くみられるという。

また、江戸時代の刑罰において、放火は最高刑であり、かつ放火に関してのみ火刑をもって罰せられた。火罪(火刑)の対象となった犯罪は火付け、火付け未遂、火札貼り(放火予告の脅迫文を貼る)であった。明暦三年(一六五七)~元禄一二年(一六九九)の間に放火について判決が下された計四九件の刑罰の内訳は、火罪(火刑)三八名、獄門八名、死罪一名、流罪二名、牢死四名、放免一名で、火付け道具を所持していただけで火刑にあった女性などの例もあり、他の刑罰と比較にならないほどの厳罰が徹底された。(波平P191-192)

一方で失火はほとんど罪に問われなかったという。天保六年(一八三五)の史料によると、失火の処罰は押し込め、手鎖村預け、叱り置き、寺入りなど二〇日~五〇日程度の軽い禁固・謹慎刑で、『どの事例においても、必ず火元の家が他人の遺恨を受けるようなこともなく、「怪しき風聞も之無き」こと』(波平P193)が強調されている。『放火でも失火でも失われる人命や財産の大きさに違いがあるわけではない』(波平P194)にも関らず、放火と失火についてはその刑罰に激しく落差があり、また放火に対してのみ火刑が適用されるところから、放火が特殊な罪であると見られていたという。

ただし、失火に対しては村落内で社会的制裁が与えられる例が多くみられた。波平によると昭和五十年代の『東北地方のある地域では』(P194)、『失火した家の世帯主は自分の属する村落はもちろん、消防団の協力体制を組んでいる数カ村落の全戸を数日がかりで詫び言を言ってまわっていた』(波平P194-195)。また、同じ村では『戦前までは、失火者は笠を被り、はだしで、荒縄の帯をすることになって』(波平P195)おり、調査当時でも類似の『笠は被らず、ズボンのベルトを外して荒縄に代え、靴は門口まで履くが、門から玄関までははだしになる』(P195)という習慣が残っていたという。

失火者に対する村落内での社会的制裁は他にも多く見られた。(波平P196)

「(1)財産没収の上、その家・屋敷跡は「不浄屋敷」と呼ばれた(長野県和田村、岐阜県羽鳥郡川島村、三重県森村、滋賀県東小椋村)
 (2)金鍋をかるわせる(鍋釜を背負わせて村を追放する)。
 (3)庄屋と寺の帳面から除籍されて追放される(和歌山県上山路村、長野県日間村他)」

但し、波平書で挙げられている放火への刑罰の例は江戸中期、失火への罰の軽微さの例は江戸後期、失火者に対する社会的制裁の例は明治以降~昭和後期と時期的にずれがあるため、むしろ、江戸期の秩序が崩壊して近現代の法秩序へと移行する過渡期で村落内での社会的制裁が強化されていたということかもしれない。村八分という習慣が江戸後期~明治初期以降に発達したのと同様に。

人間が作り出す火は、つまり制御された火は人間の文化そのものであり、先述したように、かまどやいろり、あるいはそこで焚かれる火は文化である。しかし、制御されない火あるいは野火のように自然の中に生じる火は「自然」そのものであり、人間の文化を破壊しつくす力を持つ。火はすべての物を焼きつくし跡かたもなくするので、それは秩序を破壊し、人間が作り出したさまざまな範例(パラダイム)をゼロ状態にしてしまう。したがって、放火が財物の破壊だけでなく、社会的秩序に対する大きな犯罪とみなされるわけである』(波平P202)

火を制御する職業にたたらや鍛冶がある。彼らが火を制御することで生み出される様々な製造物はそのまま文化を切り拓いた。制御された火によって彼らが生み出した製造物の中でも刀剣は特に二律背反性を持つ。神話世界において『刀剣は天と地、山と海など二大原理の対立するところにあって、その原理が対立することによって引き起こされた混乱を、刀剣が備えているその霊力によって鎮める役割を負わされている。』(波平P200)

刀剣は、『それが文化に牙を向けたときには秩序を破壊し混乱をもたらす』(波平P201)が、『自然に立ち向かった時は、自然と文化、天と地の二大領域が結びつき秩序がもたらされる』(波平P201)。[4]刀剣も刀剣を生み出した火も制御されているかされていないかの違いは破壊と生産という二つの対立する概念そのものであり、ゆえに火は神聖なるものであると同時に不浄なるものであり、その取扱いは社会的秩序の維持と強く結びついてきた。

[注4]伊耶那岐命が迦具土を切ったのは、まさにこのことだったと思われます。それゆえ、剣から滴り落ちた血や迦具土の死体から化成した神々は、剣、農具、農業、水、火山、山の象徴だったのではないでしょうか。

文化が自然と対立する秩序世界であった時代から、文化が自然をその秩序世界に内包し、強く影響を与えられるほどに発展してきた過程で、巨大化する一方の社会的秩序を支える火=エネルギーもまた、かつてないほどに膨大な力を持ってきた。かつての火と穢(ケガレ)の関係は、社会を構成する我々がケガレという概念を克服していないのだとすると、制御されない火が生み出す社会的混乱の様相を、現代社会においても強く示唆することになると思う。

-------引用おわり

■ 神話の意味すること
引用1. と2. で示されていることは、陽(伊耶那岐命)と陰(伊耶那美命)の調和(合一)によって物事(国、神々)が生成し発展すること、しかし、荒ぶる力(火神の誕生)によって陰陽の調和が乱され(伊耶那美命の死)悲しみ嘆き、失ったものを思慕すると(伊耶那岐命が伊耶那美命を追いかけて黄泉の国に下る)生気は失われ(「気枯れ」「穢れ」)死に取り憑かれそう(伊耶那岐命が伊耶那美命に追いかけられる)になる、ということと思われます。

さて、かろうじて「死の誘惑」から逃れて伊耶那岐命がおこなわれたことは、海水に浸かり禊ぎをして身を清めることでした。穢れを洗い流す過程で、黄泉でつけてきた禍そのものから神々(八十禍津日神[ヤソマガツヒノカミ]と大禍津日神[オオマガツヒノカミ])が生まれ、その禍の穢れを取り除くときも、神々(神直毘神[かみなほびのかみ]、大直毘神[おほなほびのかみ]と伊豆能売[いづのめ])が生まれました。これは、禍事、凶事を吉事に直すことを象徴しているようです。その次に生まれた住吉三神は海の神であり、海の清らかな性質、海水での禊ぎを象徴しているようです。

こうして禊ぎによって身の穢れを取り除いていって、最後に生まれたのが、天照大御神、月読命、建速須佐之男の神々です。伊耶那岐命は、この三貴神がお生まれになったことをたいそう喜ばれました。これは、穢れが取り除かれて魂と霊の曇りが祓われてなくなり、霊が生き生きと開けた状態になったことを象徴しているようです。

引用3. の神話で示されていることは、以上のようなことと思われます。この、引用1. ~3. の神話で示されていることは、雑記 2 「27. 清め祓い」で見たことと対応しており、神道の清め、禊ぎ祓いの起源が神話と神話以前の伝統、風習にあることを示唆しています。それは、単に古代の習慣が現代にまで受け継がれているというだけではなく、人間の精神、心理において普遍的な事柄が神話に記述されており、現代に生きる私たちにも、生き方について重要な示唆を与えてくれると思います。

■ 火と神話と文化
伊耶那美命の死に象徴されるように、人間は火の持つ力を手に入れるため自ら火を起こし、その火で居住地や持ち物、そして、人をも焼かれるなど、何度も痛い目にあってきたものと思われます。そのような火は人間にとって、まさに災厄であり凶事、穢れでした。伊耶那岐命は、そのような禍事を引き起こした火の神迦具土の首を刎ねます。すると、その血と死体から神々が化成しました。人間は火を制御することによって鋼を鍛えて刀剣を作り、農具、陶器など、農業や生活に必要なものを作り、水を貯め灌漑を行い森や山に手入れし、文化と自然との調和を図りました。迦具土の血と死体から化成した神々は、人間のそうした営みを象徴するものではないでしょうか。

火は凶事をもたらす穢れとなることもあるが、また有用なもので文化を支える基礎、力になるものだということを、この神話は教えてくれているように思われます。

■ 御祓いと火
火と水が重要な働きをし、陰陽の調和が重視され、清浄であることに気を配り穢れを嫌う、以上のことについては、今回、見てきたことと、以前の雑記 2-27. で見たことが一致しています。しかし、火については、重要な違いがあります。雑記 2-27. では、火を浄化するものとしか見ていませんでしたが、今回では、火は「活ける神」として登場します。さらに、火の神、迦具土は母親の伊耶那岐命の死の原因となっており、禍事、穢れをもたらしているのです。「4. 清明伝(9)-火は活ける神-」では、そのことを、本居宣長の言葉を引用して、「火は世の中に物を熟し整え成す功多くして、また万(よろず)の物を焼き亡ぼす禍事(まがごと)も類無し。これ吉と凶の際に成りまして、吉と凶とを兼ね給えるこの神の御霊(みたま)によるものなり」と表し、また「6. 火と穢(ケガレ)」では、もっと端的に「火は神聖なるものであると同時に不浄なるもの」と表現しています。

では、神道のお祓いで火は使われないのでしょうか。これについては、「お祓いの真実 http://enjoo.com/ayaseinari/jin_sinjitu02.htm 」というサイトに答えがありました。それによると、私たちがよく見かける御祓いの神具は、大麻(おおぬさ)と火打石(ひうちいし)で、ともに身を清めるという意味があります。祓えは、古来、火水風(かすいふう)によって修せられました。それが、火は火打石、水は塩湯(えんとう)、風は大麻(おおぬさ)という神具になって伝承してきています。これらの清らかな神火・神水・神風の霊力をもって、人や物についた穢れを燃やし、流しさり、吹き飛ばして清らかにするのが御祓いです。

神道でも、火は浄化の力があるものとされています。しかし、それは炎としての火ではなく、火花[5]を用いています。火はコントロールされていれば、人に大きな恩恵を与えるものですが、それに失敗すれば、大きな災厄をもたらすものです。それゆえに、炎ではなく、火花を用いたものと思われます。

[注5]火打石を用いた御祓いの動画を探してみました。

御金神社の星まつりで火打石でお祓い(2012.8.4)
https://www.youtube.com/watch?v=-hv0PTpK36A

神主さんが火打石を打ち火花を散らしながら、人々の間を廻っています。

塩湯を使った御祓いについては、住吉大社の夏越祓神事で行われていますので、機会があれば、参加されてみてはいかがでしょうか。

■ お焚き上げの由来
これまで見てきたことにより、炎を用いた浄化であるお焚き上げは、伝統的な神道に由来するものではなさそうなことが分かりました。では、何に由来するものなのでしょうか。

お焚き上げに似た行事として、左義長、どんど焼きがあります。左義長についてWikipediaより引用します。

引用開始-------

起源
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『弁内侍日記』建長3年1月16日(1251年2月8日)、『徒然草』に見られることから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。当時の貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」という杖で毬をホッケーのように打ち合うもの(「打毬」)があり、小正月(1月15日)に宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖3本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり[1]、その年の吉凶などを占ったとされる。すなわち、山科家などから進献された葉竹を束ねたものを清涼殿東庭にたて、そのうえに扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付け、陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、ついで鬼の面をかぶった童子1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が大鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口袴を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。これが民間に伝わり、現在の形になったとされる

…中略…

その他の呼ばれ方
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(五十音順)

あわんとり(千葉県南部・茨城県南部)
お焚き上げ(神社で行事としてする場合)
おんべ焼き(単におんべとも)
御柴灯(おさいとう)
かあがり(長野県南佐久郡小海町、南佐久郡南相木村、北相木村)
かんじょ(新潟県村上市岩船)
さいと焼き(神奈川県横須賀市鴨居八幡)
さぎっちょ(富山県、石川県、福井県、岐阜県、高知県、福岡県)
しんめいさん(広島県東広島市安芸津町)
道祖神祭り
とうどうさん(愛媛県東予地方)
とんど(奈良県、広島県、岡山県)
とんど焼き(近畿とその周辺、東京都)
とんど正月(兵庫県播磨地方)
どんと
どんどや(九州)
どんど焼き(山梨県の一部地方、愛知県の一部地方)
どんど焼き(群馬県、愛媛県南予地方)
とんどさん(鳥取県)
どんどん焼き(山梨県の一部地方)
ほっけんぎょう(九州)
やははいろ(東北)

…中略…

脚注
1. ^ 2011年(平成23年)1月24日 京都新聞 朝刊「佐分利恒夫「新 京・歴史謎めぐり」」

引用おわり-------

「修験道がつくった日本の闇5~密教と朝廷・修験道と反藤原~ http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=302894 」に天台宗の台密、真言宗の東密が平安時代、天皇、朝廷と深く結びついたとあります。また、Wikipediaの「加持祈祷」には、以下のような記述があります。

引用開始-------

真言密教においては、手に印契を結び鈷を用いて、護摩をたき、真言(マントラ)を口唱して仏の加護を求める。祈祷を行う儀式である修法(しゅうほう)には大きく分けて息災・増益・敬愛・調伏の4つの体系があり、これにより除災招福などの現世利益を期待した

日本ではこうした加持祈祷は仏教伝来以後日本古来の呪法と結びつきながらしばしば行われ、聖徳太子が父用明天皇のために法隆寺を建立したこと、天武天皇が皇后鸕野皇女(後の持統天皇)のために薬師寺を建立を行ったことも加持祈祷の一環であったとされる。また、鎮護国家の思想とも結びついて「金光明経」や「仁王経」の読経が盛んに行われた。

だが、加持祈祷が広く行われるようになったのは密教伝来以後の平安時代以後のことである。密教においては加持は仏の大悲大智が衆生に加わり(加)、衆生がこれを受け取ること(持)と解し、行者が手印を結び、口から真言を発し、心に本尊を観ずれば、行者の三業を清浄にして即身成仏が可能になるという「三密加持」説が唱えられ、また効験を得るために特定の陀羅尼・印契を修して念じる呪法を祈祷と捉え積極的に行った。更に陰陽道の発達によってその要素を取り込みながら日本独自の加持祈祷が成立することになる

平安時代中期には皇室から庶民に至るまで、国家の大事から日常の些事まで全て加持祈祷によって解決しようとする風潮が高まった。天皇個人のための祈祷を行う護持僧が、延暦寺・園城寺・東寺などの密教の大寺院の高僧から選任されたほか、国家・宮中行事として宮中で正月に開催される後七日御修法をはじめ、御斎会・仁王会・維摩会の南都三大会、興福寺法華会・法勝寺大乗会・円宗寺最勝会の北京三大会などが開かれ、この他にも天災・疫病・出産など様々な名目で各種の祈祷(請雨法・孔雀王法・仏眼法・尊星法・七仏薬師法・愛染王法・北斗法・普賢延命法など)が行われた。

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この記述から、密教、加持祈祷、陰陽師には深い繋がりがあることが窺えます。このことから、左義長の元となった宮中行事「三毬杖(さぎちょう)」は、多分に密教の護摩の影響を受けたものと思われます。また、「平安時代中期には皇室から庶民にいたるまで、国家の大事から日常の些事まですべて加持祈祷によって解決しようとする風潮が高まった」とあるので、民衆の間にも、左義長のような行事の需要があったのでしょう。

ところで、「6. 火と穢(ケガレ)」に「古来より火は神聖性を与えられてきた。制御された火は文化と秩序を作り上げる力を持っており、秩序はその火を使いこなすことで権威立てられる」とあります。左義長、どんど焼きは、道祖神の神事として、歳神を送るために小正月に行われる行事として権威付けられ、秩序化されました。お焚き上げは、左義長、どんど焼きなどと起源を同じくすると考えられますが、こちらは、神社、仏閣という権威を持つ者が執り行う行事であるということで秩序化されています。

このように、お焚き上げは比較的新しく興った浄化の儀式のようです。その背景には、火の持つ聖性と呪法、そして、神仏の権威があると考えられます。

以上、火の持つ意味を神話的、文化的に見た上で、お焚き上げの起源、背景を探ってきました。少々、突っ込み足りないところもありますが、あとは、今後の探究課題にしたいと思います。

[追記]
2017/04/11 リンクしていた住吉大社夏越祓神事の動画が削除されましたので、リンクを削除、付加されていた文を変更しました。


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